唄と踊り。

それは太古からの、民の祈りのかたち。
2014年、今日ここに、この広場に続く、確かないのちの鼓動。
謡。


その、唄でも語りであるような
そのどちらでもない巫女の託宣、カムイの物語世界。
それはくにうみの源であり、ことばの源であり、語られ続けることで祈りがかなうという。


第21回チャランケ祭の特別プログラムは、北のアイヌモシリ、南の琉球弧に伝わる物語世界をひとつのまぐわいとして「謡の時間」を企画いたしました。

そして、アイヌモシリの文化にも縁の深いサハ共和国の風の音と物語は駆け抜けるかのように共鳴します。


わたしたちは、どこから生まれてどこへ向かうのか
その根が息する島々と大陸の交歓!
この満月のよく似合う広場のためにわたしたちはモシリ(大地)を抱き、島を抱きさらなる旅を続けよう。


本編は11月8日(土)に行われるチャランケ祭与論島編へのいざないとして、

ぜひお楽しみください。

 

■第21回 チャランケ祭:特別プログラム/11月1日(土)17:15~18:15


「 北 と 南 の く に う み 物 語  ~ 与 論 島 へ の い ざ な い ~ 」

結城幸司/カムイユカラ(アイヌ神謡)
シーサーズ/沖永良部島のユタの呪詞
直川礼緒&ムトゥクチャ/東シベリア・サハ民族の音楽

 

 


沖 永 良 部 島 の ユ タ の 呪 詞
島 建 て シ ン ゴ
持田明美(シーサーズ)

●あらすじ
 東の聖地で、石の王と金の君の間にひとりの男の子が生まれました。父は石になり、母は金になってしまったので名前をつけてもらえませんでした。男の子は名前が欲しいと、天に上ってティルディダガナシ(太陽神)にお願いします。
 ティルティダガナシは、男の子を「島クブタ国クブタ」と名付けます。島と国が欲しいという島クブタ国クブタに、ニルヤハナヤに行くように言います。
 ニルヤハナヤで島クブタ国クブタはニルヤの大主に会い、「島クブタ国クブタ」と名前をもらい、教えられたとおりに島をつくっていきます。
 はじめは波のかぶる浮き島。そこに島釘をうち、島を安定させ、波垣をつくり、泉川をつくり、鎮守の嶽アムトを建て、実のなる木を植えました。
 島と国はできたので、ティダガナシから「人種(チュダニ)」をもらいますが、三年たっても増えていきません。女の家を風下に置き、風で交合させ、人間が見事に生まれました。しかし、食べるものがありません。
 島クブタ国クブタは稲の種をもらいにニルヤハナヤに行きますが、ニルヤの大主は「まだ初穂祭が済んでいない」との理由で分けてくれません。その時、稲の種をネズミがこっそり盗んでしまい、ニルヤの大主の怒りをかって打ち殺されてしまいます。
 ティダガナシはクシントーバルアミントーバルで死んでいる島クブタ国クブタを見つけます。哀れに思ったティダガナシが島クブタ国クブタを生き返らせて、島クブタ国クブタは改めてニルヤハナヤに行き、初穂祭の済んだ稲の種をもらい、育てかたを伝えます。収穫したら御初は神々、海山墓、嶽アムト、先祖、竃神、火之神に奉り、その残りを人間がいただいて命を生きるのです。

●私たちが暴挙におよんだ理由。
 「島建てシンゴ」は沖永良部島で代々ユタ(口寄せ・託宣・祈願・治病を行う沖縄・奄美の民間巫女)を営んでいた家に古くから伝えられた呪詞です。ユタでもない者が神聖な呪詞をうたうというのは、はっきり言うととんでもない暴挙です。私たちがその暴挙に及んだ経緯を話したいと思います。
 10年以上前のこと、「島建てシンゴ」最後の伝承者による録音テープが知名町役場に残されており、聴かせてもらいました。第一印象は、「これはウタ? それとも語り?」でした。リズムも音階も不明瞭で、韻律をもった言葉が流れるように続きます。シャーマンによる世界創造の物語、「島建てシンゴ」は、さまざまな祈願のあとに、祈願成就のためにうたわれていたということ。神話を語り再現することで霊力が発現し、願いもかなうと考えられたのでしょう。  
 それから時が経った2011年3月11日、東日本大震災が起きました。地震と津波によってたくさんの命が一瞬に奪われ、その後の原発事故も加わって人々の暮らしも多く失われました。天災と放射能の前に人間は無力です。被災者だけでなくすべての人が、この後をどのように生きるべきかをつきつけられたといってもいいでしょう。
 その時にふっと浮かんだのが「島建てシンゴ」でした。昔の島人が生きてきた神話的世界観を多くの人々知ってもらいたい、という気持ちはありましたが、この時ばかりは、簡単に言うと「シンゴ」の力を借りたい!と思ったのでした。どのように私たちは暮らしを取り戻していくのか、を考えたときに自分にとって必要なのが「シンゴ」だったのです。
 私たちは録音をもとに、テキストと照合しながら全体と整理し、楽曲として楽しめるように三線(サンシル)やバイオリンも加えアレンジをしました。言葉の内容がわかるように翻訳をつけて、物語を絵にしてスライドショウ化しました。
 言葉にはコトダマ(言霊)がやどります。コトダマはただ普通に「語る」よりも、「うたう」ほうがさらに霊力が強くなるといいます。 繰り返される単調なリズムと音階によって、神話の世界に引きづりこまれていくような気分になることがあります。「島建てシンゴ」を見ていただいた皆さんも、きっとこの神話世界に共感していただけるものと思います。
 本来はユタがひっそりと祈願にうたうカミガタリです。神さまにお許しを願いながら上演させていただくように務めています。

●与論と永良部は兄弟島。
 今年、ついにチャランケ祭が、東京・中野から飛び立って与論島でも開催される運びになったとのこと。与論島と沖永良部島は隣同士、あわせて「ユヌエラブ」と呼ばれる兄弟島です。言葉も似ており、イキントウ節(イチキャ節)など、与論島と沖永良部島にしかない唄もあります。
 伝説では北山王の次男が沖永良部を、三男オーシャンが与論を治めた、といわれています。北山時代の14 世紀にノロの祭りとしてはじまったと考えられる「シヌグ」祭は、沖縄本島北部から伊是名・伊平屋・渡名喜・与論・沖永良部島までにある祭りです。祭りの形態は地方でさまざまですが、神を迎えて島の安全を祈願してまた送り返す、というのは共通しているようです。与論島の「十五夜踊り」も昔はシニグ(シニュグ)踊りといわれていたそうなので、シニグ祭りの一貫で行われたいたものかもしれません。「チャランケ」のスピリットが島々に広がりますように! ホーリャー!(誇らしい)

●南島のいろいろな島建て(創世)神話

『シバサシのオモロ』沖縄県大宜味村喜如嘉
▼昔、アマミク・シネリクが島を造ったが、島尻も国頭も浮き上がって漂っており、波がかぶる島だった。黒土を投げ入れ、国釘・島釘をさして島と留め、木々を植え黒岩を据えて波を防いだ。

『中山世鑑』1650年
▼天帝の命で阿摩美久・志仁礼久は島を造る。土石草木を下ろして波を防ぎ、数々の島と神聖な森をつくる。▼天帝から一男一女をもらう。風邪によって孕み五人の子が生まれる。長男は天孫氏、次男は按司、三男は百姓、長女は君、二女はノロの始めとなる。▼阿摩美久が天にのぼり五穀の種子をもらい受け、麦・粟・稲を久高島に蒔き、稲苗を知念大川の後ろと玉城のオケミゾ(受水走水)に植え、初穂を捧げて神を祀った。

与論島
▼昔、まだ島が出来上がっていないころ、アマミクとシニグクの二神が魚捕りをしようと船に乗っていると、船の舵が浅瀬にかかって船が止まってしまった。二神が瀬に降りてみると瀬は波の上に盛り上がってきて島となった。アマミクは「良い島です」とシニグクの神に言い、シニグクは「良い島にしよう」と言った。▼船の舵がかかってしまったところは「舵引きバンタ」。それから西の方の「ミイラ嶽」が出来上がって与論島ができた。▼できたばかりの与論島は浮き島で揺れ動いていた。そこにアマミクとシニグクが3つの柱を打ち込んで動かなくした。▼ふたりの神は「ショオの御屋」に住み、鶴の交尾を見て性交し、子孫を増やした。

奄美大島秋名
▼シマクダマルが天から降臨したが、大波が来て島を作れない。石を置けと神に教えられ島々をつくる。▼シマクダマルの子が田を作ろうとするが大雨で造れない。天から福神が降りて来てゴユという草を畦に植え、田ができた。荒神がネリヤから稲の種を盗んできてシマクダマルの子に与えた。ネリヤからネズミが来て稲を食べた。盗んだものなので食べてよい、とネリヤで言われたという。

八重山諸島石垣島白保
▼日の神の命で、アマン神が天の七色の橋からとった土石を大海に投げ入れて、槍矛でかきまぜて島を造った。最初に生まれた生き物がアーマン(やどかり)だった。ヤドカリはアダンの実を食べて島中に繁殖した。▼次に人種(ヒトダネ)を降ろすと、若い男女が現れた。神は二人を池の傍に立たせ、別方向に池をめぐるように命じた。再び出会った二人は抱き合い、その後、八重山の子孫が栄えた。

八重山諸島波照間島
昔、島人が悪風に染まり、世が乱れた。神はふたりの兄弟を洞窟に住まわせた。しばらくして油雨が降り注ぎ、島は火の海となった。火は三日三晩燃え盛り、人々はみな焼け死んだ。洞窟にいた二人は助かり、神は二人を産(しら)石に寄らせ、妹をはらませる。はじめに毒魚が生まれ、次に鬼女が生まれた。その子がさらに多くの子を産み、人間が広がった

奄美大島瀬戸内町古仁屋
▼アガレンハルカナはどこから稲霊を盗んできて稲を作った。すると豊作になった。盗んだものだとの悪い噂が立ち、親は、ハルカナは死んだほうがよいと身体を浄め、ハルカナは死んで稲霊の神になった。

<参考文献> 
山下欣一著『南島民間神話の研究』第一書房 2003/『奄美説話の研究』法政大学出版局1979/外間守善校註『おもろさうし』 岩波
文庫/外間守善・玉城政美編『南島歌謡大成~沖縄篇~』角川書店 1980/登山修編著『南島昔話叢書1/瀬戸内町の昔話』同胞社 1993/『与論町誌』

※チャランケ祭のチラシ・プログラムにおいて「沖永良部島のユタの呪詞」が「ユタの祝詞」と表記された箇所がありました。正しくは「ユタの呪詞」です。
お詫びとともにここに訂正させていただきます。(実行委員会)

 

 


ア イ ヌ 民 族 の 口 承 文 芸
ユ カ ラ と カ ム イ ユ カ ラ
広瀬敦子

ユカラとカムイユカラは、いずれもアイヌ民族の「口承叙事詩」です。
文字を持たないアイヌは、親から子へ民族の歴史や知恵を口承で伝えてきました。カムイユカラとは主に「カムイが自ら歌った謡」といわれ、ユカラは「英雄叙事詩」といわれ大別されています。


【カムイユカラ】
神々のユカラ――自然界の神々(火・風・鳥・獣など)
        人の始まりとされる神々(オキキリムイ・サマユンクルなど)
【ユカラ】
人々のユカラ――男性の主人公(ポイヤウンペなどの英雄物語)
        女性の主人公(ニシマクンマツなど)

これらは口承のスタイルも異なっていて、カムイユカラでは語り手が節とリズムを繰り返しながら語りますが、ユカラは物語のクライマックスになると、聞き手の方も合いの手や拍子を入れて盛り上げていくのです。
ユカラ、カムイユカラとも日常的に炉辺などで語られていますが、儀式のときも歌や踊りとともにユカラも重要な位置を占めています。たとえば熊送り(イオマンテ)の儀式では、語り部は物語の途中でユカラを止めます。これは、お話の続きが聴きたくて、カムイがアイヌの村へ再び訪れてくれると信じられているからです。

横山孝雄 「銀のしずくふるふるまわりに」知里森舎より

●参考文献 
久保寺逸彦 「アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究」(岩波文庫)

 

 


東 シ ベ リ ア ・ サ ハ 民 族 の 音 楽 と 物 語
直川礼緒

世界で一番寒い国、冬にはマイナス60度以下、夏にはプラス40度近くになる、ロシア連邦サハ共和国に住むサハ民族の音楽とお話を紹介します。


1.  ホムス(口琴)
アイヌ民族にも竹口琴ムックリがありますが、サハの口琴ホムスは、鉄製で、国民楽器といえるほどサハ民族にとって重要な楽器です。「白き主神 ユルュン・アール・トヨンが、二本足の種族(人間)を創り、中の世界(地上)に住まわせた日に、力強い音の神聖な口琴を人間に与えた」という 神話に基づく、クラコーフスキイの詩です。


2.  クムィス(馬乳酒)の歌~アルグィス(祝福歌)~フィットィア・フィットィア夏が来た~サハの踊り <口琴ホムス+三弦楽器トプスール>
サハでは、日・火を司る白き主神ユルュン・アール・トヨン、人間と東の空の守り神イエ・イーエフスィット、狩りの神バイアナイ、馬神ヂョヒョ ギョイ、鍛冶神クダイ・バフスィ、土地や川や山の神など、あらゆるものに神様がいます。サハはチュルク語系の騎馬民族で、馬がとても大切な動 物です。


3.  昔話「牡馬と牡牛/冬が長くなったわけ」
昔々、神様が、冬を長くしようか夏を長くしようか、人間に相談しました。人間は、友達の牡馬と牡牛に相談してください、と言いました…。


4.  早口言葉「冬」
ウィッチィー ウィッチャ=さっむい寒い。


5.  シベリアの踊り <口琴ホムス+三弦楽器トプスール